世界最大の宗教
キリスト教の信者数は全世界で約24億人と推定されています(2024年時点)。これは世界人口のおよそ30%を超える人数です。カトリック:約13億人・プロテスタント:約8億人・正教会:約2億人、つまりローマ教皇とは、その頂点であり富と権力の頂点に君臨するということでもあります。発言には世界中が注目し、影響力も尋常ではないのです。
2025年4月21日に88歳で死去されたローマ教皇フランシスコは、世界人口の二割を超えるカトリック信者の頂点に君臨していた存在です。その後釜、跡目争いには闇深く、血生臭い、神の代弁者とは到底思えない骨肉の争いを繰り広げてきたのが、カトリックである。その血なまぐさい歴史を簡単に説明します。

教皇選挙(コンクラーヴェ)は基本的には聖なる儀式とされていますが、歴史をさかのぼると、実は非常に血なまぐさく、政治的陰謀と権力争いに満ちた時代がありました。中世やルネサンス期のコンクラーヴェでは、教皇の座が宗教的なものにとどまらず、巨大な政治・経済的権力を伴っていたため、激しい争いが繰り広げられました。
いくつか代表的な事例とその背景を紹介します。
1. コンクラーヴェとは?
「コンクラーヴェ(conclave)」はラテン語で【鍵をかけた部屋】の意味。教皇が亡くなった際に、枢機卿たちが密室に集まり、新たな教皇を選出する儀式です。
しかし中世では、選挙における買収、脅迫、暴力、殺人、策略などが横行していました。
2. 有名な血なまぐさいエピソード
教皇ボニファティウス6世(896年)と「死者の裁判」
ボニファティウス6世は在位わずか15日間。
前教皇フォルモススに対する怒りが爆発し、次の教皇ステファヌス6世がフォルモススの遺体を掘り起こし、【死体を法廷にかける】という前代未聞の死者の裁判が行われました。本当に狂っているのです。
遺体は衣服をはぎ取られ、川に投げ捨てられるという凄惨な仕打ち、神の使い、代弁者達が権力欲に駆られ、およそ人とは思えないようなことを繰り返すのが、キリスト教の権力者たちだ。金と権力を追い求めるその根幹は政治家そのもの!!
14世紀の「アヴィニョン捕囚」と「大シスマ【教会大分裂】」
1309年~1377年、フランス王フィリップ4世の圧力により、教皇庁がローマからアヴィニョン(フランス)に移転。
フランスとローマの対立が深まり、1378年には2人(のちに3人)の教皇が並立する大混乱に。
各国が自国に都合のよい教皇を支持し、カトリック世界が真っ二つに分裂。
和解には40年近くかかりました。宗教が戦争を引き起こすことは歴史が証明しているし、現在もイスラエル【ユダヤ教】によるイスラム教徒の迫害であり、ジェノサイドそのものです。日本政府はジェノサイドを容認し、目をつむりイスラエルを支持しています。本当に狂った世の中ですね。
教皇アレクサンデル6世(ボルジア家)
15世紀末、ルネサンス期に選出された教皇で、家族の勢力拡大に権力を利用。
息子チェーザレ・ボルジアとともに毒殺、陰謀、買収、売官行為(地位の売買)など、教皇というよりマフィアのボスに近い動きをしたことで悪名高い。
コンクラーヴェでも金による票の買収があったと言われています。現在も密室で行われる政治である以上票の取り込みや多数派工作は当然常日頃から活発に行われているものと考えるのが自然です。そこには人徳や清い思想の入り込む余地など皆無でしょう。
3. なぜこうした争いが起きたのか?
教皇位が「宗教的権威」+「政治・軍事力・経済支配力」を持っていたため。
教皇は神の代理人として精神的支配者であると同時に、中世ヨーロッパにおける一国の王をも凌ぐ力を持つ存在でした。
ローマ教皇庁は莫大な富と軍を所有し、王族や貴族たちは自分の一族から教皇を出すことでヨーロッパ政治を支配しようとした。様々な歴史書からも、また映画などでも数多く宗教戦争の作品が多いことからも、その血生臭さがわかると思います。

4. コンクラーヴェ改革
こうした混乱を受けて、13世紀以降、徐々にルールが整備されていきました。
例えば、教皇グレゴリウス10世による「ウビ・ペレリクルム(1274年)」で、鍵付きの部屋での選挙の義務化
投票方法や外部との遮断、食事制限などの厳格な規定が追加され現在に至りますが聞こえはともかく、密室でどのような派閥争いが勃発しているのかすら明かされない仕組みになっています。西洋らしいですね。
次の教皇がいつ決まるのか?
今回のコンクラーヴェで実際に教皇が決まる時期は、現時点では明確には断言できません。
教皇が逝去された場合、伝統的に15日から20日後にコンクラーヴェが開始されるとされています。フランシスコ教皇は2025年4月21日に逝去されましたので、早くとも5月6日頃から、遅くとも5月11日頃にコンクラーヴェが始まる可能性が高いと考えられます。
しかし、コンクラーヴェの期間は一定ではありません。過去の例を見ると、数日で決まることもあれば、数週間かかることもあります。
したがって、今回のコンクラーヴェで実際に教皇が決まるのは、2025年5月中旬から下旬にかけてになる可能性が高いですが、それよりも早く決まることも、遅れることもあり得ます。全ては密室の中で、ブラックボックス内で決まるのです。全世界20%の人口の王が、固唾をのんで見守りましょう。
今回も最後まで見ていただき、ありがとうございました。