1987年に公開され、当時も大ヒットした映画です。ラストエンペラーは1906年に生まれ、わずか2歳で清朝の皇帝に即位した、溥儀の波乱に満ちた生涯を通じて中国の近現代史を深く理解する上でも貴重な作品と言えるでしょう。
愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)彼の悲しいまでの抗えない波乱の人生を描いたのがラストエンペラーですね、日本では皇室が太古より保たれていますね。政局とは距離を置くことで討ち取ってクーデターとはならなかったのも、他国の歴史からみたら奇跡のような現在の天皇の血筋だと理解できます。それでは数奇な運命を辿るしかなかった溥儀の生涯を追ってみましょう。

ラストエンペラー 溥儀(ふぎ)の波乱の人生
愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ, 1906年 – 1967年)は、清朝最後の皇帝であり、中国最後の皇帝でした。彼の人生は、中国の激動の近代史を象徴するもので、皇帝としての権力を持たないまま、激しい政治の流れに翻弄された波乱万丈のものです。この歴史上の実話の人物が、ほんの数十年前まで生きていたことを考えると、現在の大国である中国の歴史がいかに浅いものであり、もろき存在なのかを理解する一端になるかもですね。
① 幼くして皇帝に即位(1908年)
生誕:1906年(光緒32年)
北京の紫禁城で生まれ、満洲民族の王族「愛新覚羅」家の一員。父は醇親王(じゅんしんのう)、母は瓜爾佳(グワルギヤ)氏。
即位(1908年)
溥儀はわずか2歳で、病死した光緒帝の後継者として即位。これは、西太后(西の大后)が決定したものだったが、彼女自身も即位直後に死去。ここで豆知識ですが、西太后も映画になるほどの偉人です。世界三大悪女と検索すれば出てくると思いますよ、気になる方はどうぞ。
こうして、実質的に後ろ盾のない幼帝となる。
宦官や乳母に囲まれた幼少期
実の母は溥儀が紫禁城へ入る際に別れを余儀なくされ、溥儀は強い孤独感を抱える。紫禁城では伝統的な厳しい宮廷儀礼のもとで育てられた。
② 清朝滅亡と退位(1912年)
辛亥革命(1911年)
孫文(孫中山)を指導者とする革命が勃発し、清朝は崩壊の危機に瀕する。
退位(1912年)
袁世凱(えんせいがい)が仲介し、清朝は溥儀の名のもとに退位詔書を発表。
ここで清朝は滅亡し、中国は中華民国へと移行する。
ただし、「優待条件」により溥儀は紫禁城に住み続けることを許される(皇帝の称号は名目的に保持)。
③ 皇帝から亡命者へ(1924年)
宮廷での生活(1912年-1924年)
紫禁城で「皇帝」としての生活を続けるが、外の世界ではすでに清朝は滅び、時代は中華民国の支配に移行していた。
紫禁城追放(1924年)
軍閥・馮玉祥(ふうぎょくしょう)が北京を掌握し、溥儀を紫禁城から追放。
ここで完全に皇帝の座を失い、一市民となる。この事自体がどれほどのことか、想像できますか?国一番の権力者であり、当時の中国の一般国民は当然食べるものにも困り果てるような貧困にくるしんでた中、国一番の権力者が一般人の中に放り込まれることが、どれほど残酷な事態を生むかは火を見るより明らかでしょう。
日本公使館への亡命(1924年)
天津の日本租界へ逃れ、日本の保護下に置かれる。ここで日本軍との関係を深める事になるが、さらなる運命のいたずらを招くことに。
④ 満洲国皇帝としての傀儡統治(1932年-1945年)
満洲国建国(1932年)
日本軍が「満洲事変」(1931年)を起こし、中国東北部に満洲国を建国。溥儀は「執政」として招かれ、1934年に「康徳帝」として即位。
→ しかし、実権は完全に日本軍(関東軍)に握られた傀儡国家であり、溥儀はほぼ操り人形だった。
日本の敗戦と満洲国崩壊(1945年)
ソ連軍が満洲へ侵攻し、溥儀は日本へ逃亡しようとするが、満洲里でソ連軍に捕えられる。
⑤ ソ連抑留と中国への引き渡し(1945年-1950年)
ソ連へ連行(1945年)
溥儀はソ連へ連行され、ハバロフスクで5年間抑留される。スターリンの命令により、中国共産党へ引き渡されることが決定。
中華人民共和国への移送(1950年)
毛沢東率いる新中国(中華人民共和国)が成立し、溥儀は戦犯として引き渡される。
⑥ 戦犯収容所での「思想改造」(1950年-1959年)
撫順戦犯管理所(1950年-1959年)
中国共産党の管理下で、「思想改造」として共産主義の教育を受ける。
→ 溥儀自身も次第に共産主義を受け入れ、皇帝としての自分を否定し始める。
特赦による釈放(1959年)
毛沢東の大赦政策により、戦犯としての罪を免除され、一般市民としての生活を許される。
⑦ 一般市民としての晩年(1959年-1967年)
北京での一般生活
庭師や図書館員として働く。
1962年、自伝『わが半生』を発表。
再婚し、新しい妻と暮らすが、精神的には苦悩が続く。
文化大革命と死(1967年)
文化大革命が始まり、元皇帝として批判を受ける。
持病の腎臓病が悪化し、1967年10月17日、北京で死去(享年61歳)。
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まとめ:溥儀の波乱の人生
溥儀の人生は、幼帝→亡命者→傀儡皇帝→戦犯→市民と、歴史の激動に翻弄された、まさに「最後の皇帝」でした。どうでしたか?これほど出生事体に翻弄される人生を私は他に聞いたこともなく、私が生まれるほんの数年前まで生きていた歴史だと思うと感慨深いですね。こういった史実を知ったうえでこの映画を見れば認識もより深まるかと思います。ぜひ一度ご覧になってはいかがですか?今回も最後まで見て頂きありがとうございます。